バレーボールチーム「上尾メディックス」の歴史

上尾メディックス

メディックスの歴史

FOCUS on your IMPROVEMENT ~自己成長に最大集中~

FOCUS on your IMPROVEMENT ~自己成長に最大集中~

私たちは、医療が礎(いしづえ)のチームであることに誇りを持ち、このチームを魅力あるチームにします。
選手スタッフ一同、まずは、「自らの成長」に集中し、今シーズンのチーム目標である「1年でプレミアの座を奪い返す」事に貢献します。

監督 吉田 敏明
上尾メディックスメンバー一同
2016年7月1日

1965年
上尾中央総合病院ソフトボール部を設立。対外的に数多くの試合に出場する。
1978年
同じ中央医科グループであり、同時期に活動を行っていた戸田中央総合病院ソフトボール部とは幾度となく対戦するも、13年間勝つことが出来なかった。この為、涙を呑んでやむなく上尾中央総合病院ソフトボール部は廃部となった。その後、上尾中央総合病院ソフトボール部はバレーボール部へと移行、選手のほとんどもバレーボール部員へと転身する。
バレー部発足後、上尾中央医科グループ内にて開設当初から福利厚生の一環として行われているバレーボール大会にも参加。また、上尾市バレーボール大会等にも参加する。
2001年
日立茂原女子バレーボール部監督などを歴任した松永敏を監督に迎え、実業団バレー部「上尾中央総合病院女子バレーボール部」として正式に発足。
2002年
第22回 一次リーグ 2位
プレーオフ 3位
実業団6人制バレーボール選抜男女「地域リーグ」に参加。
2003年
第23回 一次リーグ優勝
プレーオフ 2位
V1リーグに昇格。(現在のV・チャレンジリーグ)
2004年
第6回 V1リーグ 6位
2005年
第7回 V1リーグ 5位
2006年
第8回V1リーグ 8位
高野圭介を新監督として迎える。
しかし、第8回V1リーグは最下位となり、地域リーグとの入換戦を経験する苦しいシーズンとなった。
2007年
2006/07V・チャレンジリーグ 3位
(V1リーグからV・チャレンジリーグに改称)
前年8位から自己最高3位の成績を残す。
上尾市長に3位の報告に表敬訪問。
2008年
チーム名を「上尾中央総合病院」から「上尾メディックス」に変更。
V・チャレンジリーグ 3位
ドミニカ共和国のシダルカ・ヌネスを補強し戦力補強も進めたが3位となり、入替戦出場は成らなかった。
2009年
2008/09V・チャレンジリーグ 3位
ドミニカ共和国のアルタグラシア・マンブルを補強。
初のV・チャレンジマッチ出場には届かなかった。
2010年
2009/10V・チャレンジリーグ 準優勝
元アメリカ代表監督である吉田敏明を監督に向かい入れ新生メディックスとして「プレミアリーグへの挑戦」が始まる。
全日本メンバーの庄司夕起や細川麻美らプレミアリーグ在籍選手を多く補強した。
初のV・チャレンジマッチ出場を果たすも、トヨタ車体クインシーズに1勝1敗ながらセット率の差で敗れ、V・プレミアリーグ昇格は成らなかった。
2011年
2010/11V・チャレンジリーグ初優勝
カナダのティファニー・ドッズを補強。
東日本大震災の影響によりV・チャレンジリーグ数試合残し初優勝となるもV・チャレンジマッチは中止となった。
2011年5月の黒鷲旗全日本選抜大会では、V・プレミアリーグのパイオニアレッドウィングスを破るなど健闘し、初の準々決勝進出を果たした。
2012年
2011/12V・チャレンジリーグ 準優勝
イタリアのヴァレンティーナ・フィオリンを補強。
V・チャレンジマッチでトヨタ車体に完敗しV・チャレンジリーグ残留。
2013年
2012/13V・チャレンジリーグ 優勝
ウクライナのウスティメンコ・オレーナを補強。
V・チャレンジマッチでパイオニアレッドウィングスに連敗しV・チャレンジリーグ残留。
2014年
2013/14V・チャレンジリーグ準優勝
アメリカのメットカフ・ナンシーを補強。
JTマーヴェラスと対戦したV・チャレンジマッチで、4度目の入れ替え戦挑戦を勝利し、2014年5月22日Vリーグ機構の承認を受けて、悲願のV・プレミアリーグ昇格を果たした。
2015年
2014/15 V・プレミアリーグ第3位
アメリカ代表オポジット、ケリー・マーフィーを補強。
レギュラーラウンド第4位。
ファイナル6で3位となり、ファイナル3に進出したがNECレッドロケッツに敗れた。
初のプレミアリーグ参戦ながら3位という好成績を残した。
2016年
2015/16 V・プレミアリーグ第8位
2014/15シーズンに続き、アメリカ代表、ケリー・マーフィー補強し、レギュラーラウンド第8位でチャレンジマッチへ。
チャレンジマッチではJTマーヴェラスと対戦し、敗退。
再びチャレンジリーグ降格という苦しい結果となった。

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